いまは時間に余裕があるから、回想。
きっと色んな絵描きの人生で、一番厳しく絵を描いたのは、美術予備校時代ではないでしょうか。
一般的には、美大に行く為に美術予備校で絵の基礎を勉強し、美大の受験に合格し、美大で過ごし、その後はそれぞれ という感じでしょうか。
ごく一例ですが。
私においてもしかり、美大は中退しましたけども、一番厳しく絵を描いていたのは美術予備校時代。
KENアートスクールの話
高校二年生の夏から受験に向けて通いました。
わたしはムサビの映像科に現役合格でしたので、1年半、お世話になりました。
ここは大手の予備校とちがって、本当に受講生が少なく、2年生の時点では先輩が一人、3年生の時点ではあとちらほらと受講生がいたくらいの閑古鳥学校でした。
昔は、もっと人がいたそうな。
地元にあり、大先生のケン先生。講師のサトウ先生、タカツ先生がおりました。
あまり先生方がいない時間も多く、見学の人を私が案内した事もありました。
石膏にはすでに影の部分にシミが出来ていて(でっさんしづらい)、先生がなかなか来ない事も多々ありました。
でもですね
絵を描くとはなにか、を一生懸命伝えてくれていました。
当時の私には理解できる感受性が欠けていましたが、何の為にデッサンするのか、平面構成はかっこくデザインすればいいんだよ!とか、今の私の絵の基礎はここからきていること間違いないです。
基礎が無ければ、崩せない。
その基礎を、ここで構築する事ができたのでしょう。
高校生の時の事だから、忘れてしまったこと多数なんですが、でも、ここがなければ絵を描く事は無かったでしょう。
映像科志望だからといって、そういう受験課題ばかりではなく、ちゃんとデッサンと着彩をさせていただいたからです。
犬くさい
講師があんまりいない
石膏がきたない
生徒がいない
それがKENアートでしたが、私らしいところに通えてよかったなあと思います。
ああ、デッサン、したいなあ。
今の私がしたら、また違うに違いない。
なつかしい、KENアートへ。
[3回]
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